お示し・・・政治家の妙な言葉遣い


「示す」 を使うことが不適切

指し示すという意味で、どうしても「示す」 を使いたいなら、「お」は付けず 「示させていただく」 がぎりぎり許容範囲である。しかし、そもそも「示す」という言葉を使うことが適当ではない。


「示す」という場合、示された側に内容変更の可能性は無い。
言葉自体が上からの言葉なので本来、他者の行為であっても、「お」は付けない言葉である。
「お~する」の謙譲表現ができない言葉なのである。

「お示し」には別の意味がある

「お」を付ければ別の意味になることを知らない人は、謙譲表現として「お~する」は間違いではない、
と考えるかもしれない。
しかし、「お邪魔しました」の「お」は自分に「お」を付けているようであるが、「邪魔」を丁寧にする「お」なので少々違う。

また、日本語には別の意味と同じになる事を避けるルールがある。

「ここを通っても、出口には行けません」 は、文字で読むとなんら問題なさそうである。
しかし「いけません」には別の意味があるので、これを避け「行かれません」が正しい。
「お示しします」も同様、口語として使うのはダメなのである。

示すのが他者であっても「お」は付けない。

献上できない言葉を使用しているのだから、その自分の行為に「お」を付けるのが不自然で、

違和感を感じる人が正常、言葉の意味がわかっている人である。

示すという言葉を使い、自分の行為、しかも示すに「お」を付け、別の意味に聞こえる、
という三重の誤りが、不自然に聞こえる理由である。

 

「示す」という横柄になる可能性のある言葉を使わず、別の言葉を使うべきで、謙
譲表現以前に、言葉の選択が誤っているのは、思い上がりとも感じる。。

 

政治家発の妙な言葉遣いでお里が知れる

新政権になって増えた気がするが、政権政党の議員が、という事ではなく、政治家が口にする言葉、特に謙譲語や丁寧語と思われる表現に妙な言葉遣いが目立つ。 威厳の無さも目立つが、連動している気がする。

 

そして、妙な言葉遣いの中で最も違和感を感じるのが「お示しする」 である。

妙チクリンの骨頂と思えるが、体調不良で辞任したお坊ちゃん総理が在任中の頃から始まった気もする。威厳の無さと連動していると感じる。

 

その後、多くの政治家が使うようになってしまい、違和感が増し始めたが、横柄に見られない為のアピールにしか見えないので、むしろ謙譲する心のなさの表れと感じる。

当人も、謙虚さに欠ける自覚があるのだろうという事は判る。

明らかに逆効果であり知性と教養不足を感じる。

 

議員という立場が身の丈を超えている方々ばかりなので、当然といえば当然であるが、立場に分不相応な人間が、偽者の言葉遣いで恥ずかしいことになっているだけと感じる。

 

不自然な言葉使いの理由

接客業を中心に、曖昧表現と呼ばれ始めた妙な日本語を聞かされる事が増えた。 「5千円からでよろしかったでしょうか」 とか 「アイスコーヒーになります」 などである。  

反射的に「いいえ、1万円からにしてもらます?・・」 とか、 「いつ頃コーヒーに成りますか?」 ときいてみたくなる。

 

自分が当事者であるにも関わらず、進行中の事柄を過去形や三人称で表現することを曖昧表現というらしいが、曖昧にしたい理由は理由は、そのように表現する事で、自分が当事者では無い、というニュアンスにしておきたいからである。そういう意志を感じる。

 

自分の預かり知らないこと、自分に責任の無い事、自分が矢面に立ちたくないという意識の表れであるとすれば、曖昧な表現というよりも、無責任な表現であるので、推奨されないものとして、無責任表現と呼んだ方が良いと思うが、そもそも曖昧表現という呼び方そのものにも、どこか似た雰囲気、責任を生じない命名方法を選択したという、責任逃れの気配を感じる。

  

曖昧というより無責任

「~でございます」 → 「~なります」

「~よろしいでしょうか」 → 「~よろしかったでしょうか」

など、誤ったへりくだり方で、謙譲語の代用となっているという話も聞いた。

 

不適当な言葉遣いと気づいて、チェーン店の接客マニュアルにも曖昧表現を使わないように指導が始まっているらしいが、その効果は出ていないようで、聞く機会は増える一方である。

 

覚え違いの謙譲語という解釈を否定はできないかもしれないが、曖昧表現という呼び方を含め承服しかねる。

政治家の「お示しする」も同様で、善からぬ意識が言葉に表れていると感じるので、一々耳障りである。

 

「示し」 「お示し」 の意味

「お示しする」に違和感を感じる最初の理由は、先頭の「お」であるが、
「お」が付いていない「示す」の連用形「示し」には別の意味があり、それもあって妙に聞こえる。

 

「難色を示す」の連用形「難色を示し」のように、直前の語で連用形と判る場合は良いが、そうで無い場合、「示し」は主に上の者から下の者への「教え」という別の意味に聞こえやすい。


さらに、「示し」に「お」を付けると、人知を超えた「啓示」という意味になる。
示された側に変更の余地の無い、一方的な通知という意味がある。
これが違和感の最大の原因であると想う。

 

「示し」も「お示し」も別の意味の言葉に聞こえる可能性が高いのに、他の言葉が思いつかずに妙な言い回しで「示す」を使うのは無教養に思えるが、とりあえず丁寧に表現しておけー、と闇雲に「お」 を付けているとすれば失礼かつ無責任で、どちらにしても政治家として相応しい言葉遣いではない。


自分が偉いと思っているから「お示し」?

総理大臣は偉いという思い上がりがあり、無意識的に「お示しします」 と言ってしまったのかどうかは知らないが、天皇のスケジュールを強引に変えさせる程なので、まぁ、思い上がっていると解釈しても良いであろう。

 

しかし、総理大臣だけではない。それほど出世していない議員の言葉遣いも妙であるし、国の役人の作る文章、さらには公共機関や学校などまでが、真似をして「お示し」という言葉を使い始めてしまっている。

 

役人は確かに大臣よりも偉いようなので、その意識においてまさしく「お示し」 なのかもしれないが、公の広報なども平気で「お示し」 を多用しており、収拾が着かなくなりつつある。

 

***以下は、上記の説明が判り難い場合にお読みください。



自分の行為に「お」や「ご」は付けない!

 「願う」に「お」を付けて丁寧語になるが、謙譲したことにはならない。「お願いします」の謙譲語は「お願い致します」である。

 

丁寧に表現する場合の「お」が、相手への行為に付けた丁寧表現の「お」であれば違和感を感じる言葉遣いとはならない。

しかし、名詞形の語である「願い」 「話し」 などに「お」を付けただけで謙譲表現とはならない。

謙譲誤にするには、自分の行為を表す動詞部分を謙譲語にすべきで、「お」を付ければ良いという事では無い。

 

「お願い致します」の「お」は「致します」とセットで謙譲表現なので、「お願いします」では不十分である。「願います」と大差無い。 

「させていただく」が先頭の「お」とセットで謙譲になる。
この点でも「お示しします」は正しくないのである。

というと、「お示し致します」はOKに感じる人もいるかも知れない。しかし「示す」 ではなく、「示させて頂く」 としないと謙譲とならない。「させて」が無いと「頂いた」 とできないので、 「させて」 が必須である。

 

しかし、「示す」に関してはどのような場合でも誰の行為であっても先頭に「お」 はつけない。

「お示しします」 「お示し致します」 いずれも妙である。


「ご覧になりましたか」と聞かれて、「ええ、ご覧になりました」と答えるのと同じで、ふざけているようにも聞こえる。「大馬鹿野郎」に「様」を付けるくらい妙である。

 

「ご覧に・・・」 と尋ねられたら 「拝見いたしました」と別の言葉で答える事が適切な場合もある。
相手の行為に使える言葉がそのまま自分に使えるとは限らない。
同じ言葉に「させて」を付ければ良いということではない。

 

万が一「お示しいただけますか?」 と尋ねられたとしても 「お示し致します」 とは答えない。

それを、自分から「お示し」 など有り得ないのである。

名詞形に「お」を付ければ良いとは限らない

 「お示しさせて頂きます」 がおかしい理由は、「お示し」という別の言葉があり、「示す」に「お」が付いた言葉に聞こえないからである。

 

「行く」→「行ける」のような「可能動詞の場合にも、同様のルールーがあり、他の言葉に聞こえる言い方は避ける必要がある。

例えば「銀座方面には行けません」は間違いで、「銀座方面には行かれません」 が正しい。 理由は、「いけない」に別の意味の言葉が存在するからである。

 

「示し」には「示しが付かない」という場合の「しめし」(教え)が別の意味として存在している。

更に「お」が付いて「お示し」 となると、「神」「釈迦」もしくはそれに順ずる存在による「啓示」という意味があり、上の者から、という意味の言葉がある。

 

人間の行為に使えないとまでは言わないが、少なくとも自分の行為を 「お示し」 と言うことはない。
「示」という感じを含む言葉が使いたければ「提示」を使うべきである。

 

 「示し」 は 「付ける」 ものであり、「お示し」 は 「ある」 か「ない」 で表す言葉であり、

「示す」に「する」は絶対に付かない!

「お示しします」は「お」も「示し」も「します」も全部間違っているのである。

天皇が難色を示す、という場合にも「陛下が難色を示された」で十分であり、「お」は付けない。

大勢が使うと、言葉が市民権を得てしまう

最初に「おしめし」 と聞いた時には、あまりに有り得ない表現に、その不適切さに、聞いていて恥ずかしくなった。

「おしめし」 と言った瞬間に妙であると気づかないのが信じられなかったが、そのままそれを真似する人はもっと信じられない。

 

フォークの背中側にライスを乗せて食べているよりも恥ずかしい間違いであるが、フォーク同様に真似をする人が増えて多数が使うようになると困った事になるので、すぐにやめて貰いたい。

 

本当の問題は思い上がり隠しと責任逃れ

このような言葉遣いが不自然に聞こえない人が増えているとすれば、日本語の崩壊も末期に来ていると思うが、日本語が壊れると嘆いているのではない。

重要な事は別にある。

 

謙虚さを失い、身の程をわきまえずに文句を言い、非難、クレーム、などで攻撃する人が増え、そうしたマイナスの作用で物事を変化させることに慣れてしまった世間であるが、その結果、そのような攻撃の対象となら無いように、自分が矢面に立たされない為に曖昧な表現を使うようになったのである。

そのように解釈してみると、曖昧表現をする人の意識において、責任回避表現と言えると思うので、言葉が壊れることそのものだけでなく、その理由が大いに問題である。

 

そのような無責任表現が言霊となって世間が本当に無責任になって来ていると感じるが、考える道具の言葉が壊れるのは由々しき問題で、果ては国力の低下にも結びつく重大な問題であるが、政治家が自分の腹の内、思い上がりに反して、心にも無い謙譲語を使い始めるに至っては、耳障りでは済まない。

 

本性が露呈する政治家の言葉遣い

米国で最も適切かつ判り安い英語を話すのは大統領であると聞いた事があるが、その情報の真偽はともかくも、大統領という立場において全ての国民に伝えることが重要であるのは間違い無い。

 

しかし、日本の政治家の話は極めて判り難い。聞けば聞くほど信頼できなくなる傾向にある。 この点だけを取り上げても、政治家が国民の為の仕事をしているとは思えない。

 

日本語は謙譲語や丁寧語などもあり、微妙な違いが言い表せる半面、表現方法や言葉遣いで、文脈以上のものが伝わってしまう。

本音がバレ易く、教養も知れ易いので、性根を隠したい政治家には不都合であり、教養の足りない政治家には不利である。

 

己の腹の中や傲慢さを自覚の上で、その本性を隠そうと使い慣れない言葉を使い、真意ではなく謙ろうとする政治家にとっては不都合な言語と言えるが、まさしく、その志の低さ、教養の無さ、信念の無さが言葉使いに現れていると感じる。

 

政治家が政治家たる志を持ち、国の為、国民の為という志が本物であれば、その身の丈に応じて、分相応な話し方をすれば十分で、それが上品でないとしても、志が本物であれば良い筈である。

心にも無い謙虚さを装うよりも十分に支持を得られるであろうし、多少の言い損じはそれと判るので容赦されるはずである。

政治家とはそういう存在であるべきで、言葉使いに気を遣った程度で誤魔化すことなどできない立場にあるはずである。

 

言葉遣いのおかしな政治家は国民の不利益

丁寧語、謙譲語、尊敬語を知らないだけなら恥ををさらしているだけだが、政治家となるとそうは行かない。

 

言葉遣いを分析するまでもなく、まともな日本語の話せない政治家には国を任せることができない、 という直感が働く。この直感は、おそらく正しいと思う。

 

闇雲に「お」 を付け本心に反して謙虚に見せる事で己の利益を確保し、責任からも逃れようという意識があるとすれば由々しきことである。

大した事の無い人間ほど偉そうぶる、というような可愛い話ではない。

 

見ての通りの教養不足で言い間違えているという政治家もいるかもしれないが、いずれにせよ、信頼に値しない人たちであり、まともな日本語が話せない政治家は信用できないと考えて間違い無い。

 

国政の危うさが政治家の言葉遣いに現れていると思う。

 

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コメント: 12
  • #1

    ミル (土曜日, 28 1月 2012 16:20)

    本当にその通りですね。
    テレビを見ていて、ものすごく違和感を感じました。 

  • #2

    さんこ (木曜日, 03 3月 2016 13:59)

    同じように感じている方が沢山いたのですね!すっきりしました。

  • #3

    リトル (火曜日, 18 10月 2016 12:15)

    記事を拝読しましてもやもやがすっきりしました。ありがとうございます。

  • #4

    みどむし (金曜日, 18 11月 2016 11:56)

    安倍総理が「お示し」って言うと、馬鹿っぽく聞こえる中に、
    『こんなのも理解、賛成できんような奴は、おしめ(オムツ)でもしておけ』と、ダジャレのように使ってるようにも感じる。
    やはり、上からの目線から選択された言葉なのだろう。
    だから、役所も使うのだろう。

  • #5

    ち~ (日曜日, 01 10月 2017 14:25)

    政治家の発言に違和感を感じ その言葉正しいのかな?と 言葉検索をして こちらにたどり着きました。思っていた事柄が 分かりやすく解説されていて とても勉強になりました、有難うございました。 やたらにカタカナ語を多用したり 何にでも”お”を付けるのが 政治の世界でも常態化しているようで 報道番組などで 発言を聴くたびに とても違和感を感じることが 多いのです。最近特に感じたのが 小池都知事の お訴え という言葉 妙に頭に残ってしまいました、 別の見方では 変な言葉を駆使して 発言を相手に印象付けるという愚策に 見事に載せられてしまったのかも知れません。

  • #6

    noko (土曜日, 14 10月 2017 18:19)

    「お示し」で検索して 多分無理 …と思っていましたらありました。有難うございます。
    スッキリしました。やっぱりおかしいと思う方々がいらしゃたことにホッとしてます。今の政治家は外国人系の方が多いようなので…だとしても国民の代表ですから、総理大臣ならばなおのこと正しい日本語を学んで欲しいものです。

  • #7

    地方議員 (火曜日, 26 2月 2019 17:53)

    長文お疲れ様ですが、何が言いたいのか結局わかりませんでした。「お示し」だけでこれだけ奮闘できるなら、それは楽しい人生でしょう。あなたのお示しいただいたお考えを垣間見てよかったと思います。

  • #8

    マロパパ (月曜日, 25 5月 2020 18:51)

    同じ様な違和感に「スピード感を持って」という表現が有ります。「迅速に取り組みます」「急いで進めます」などと言えば良いものを。政治家にはスピーチライターがいると思うのですが、彼らは書物を読まない人種なのでしょうね。

  • #9

    なかにし (月曜日, 01 6月 2020 10:55)

    お示し 10年で定着したようで、、残念です。本当におかしいですね。役所からの手紙は何度読み返してもムズムズします。

  • #10

    ララ (金曜日, 03 9月 2021 17:36)

    安倍総理ではなく、震災時の官房長官から、
    間違った使い方が広まった気がします。。。
    その後は議員全体からよく聞くんですよね。

    広まると市民権を得る…本当ですね。
    困りますね…
    今オリンピックでも、勇気を与える・もうらとか、感動を与える
    などとよく耳にしますが、いつもムズムズします…

  • #11

    Eちゃん (水曜日, 06 10月 2021 06:48)

    お示ししますときっぱり言い放つ政治家や、勇気を与えられたら!と清々しくスピーチしているスポーツ選手をTVで見る度におかしいだろ変だろその日本語と思い不愉快にさえなります。
    今日も又岸田新内閣の✖️✖️大臣が言いましたよお示ししますって。
    誰もいないんですか?それ違うと言ってくれる人。

  • #12

    ちょび (月曜日, 15 1月 2024 19:40)

    『お示しする』いつも何か気持ちが悪いと思って、政治家の話す事をきいていましたが、あなたのこの記事を読んで、はっきり致しました。
    仰る通りなので、笑ってしまいました。ほんと、誰もおかしいと思わないのかな…。